CBR ルカ21章、創世記21章

ルカ21章 1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。 2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。 3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。 4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」

おはようございます。 今日は寒い一日になりそうですね。 さて、今日のルカの箇所は、数日後には十字架にかかることになるイエス様が、もう一度本当の信仰とは何なのかと問いかけている箇所です。 当時の考えでは、信仰とは、目に見える神殿で目に見える捧げものをすることであり、その大小が信仰の大小を決めていました。 だから、金持ちは、体裁を取り繕うために、多額の献金をしていました。 でも、イエス様はここでたった二枚の銅貨を投げ入れただけの貧しい未亡人の話をしました。 なぜなら、「多額」であることが信仰を決めるのではなく、「全額」投げ入れるほどの心が、信仰だからです。 体裁を取り繕うために、「多額」を捧げる人はたくさんいたでしょう。 でも、神様を愛するがゆえに、「全額」を惜しまずに捧げることができたのは、この女性だけでした。

僕は、教会という目に見える場所で、前に立って話すという目に見える仕事をしています。 でも、心の中に、全てを投げ出してもいいと言うほどの神様への熱い愛はあるでしょうか。 とても探られる箇所です。 間違えないでほしいのは、この箇所は、全額捧げなさいと言っているのではなく、全額捧げるほどの信仰があるかと問いかけているのです。 あるいは、信仰のように見えて、実は体裁を取り繕っているだけの行為に甘んじていませんか…と問いかけているのです。

時間の使い方はどうでしょうか。 いつの間にか、自分の事だけで一杯になってしまっていませんか。 自分の持っているものを、神様のために使おうとしているでしょうか。 僕は、いつのまにか、礼拝の準備が一番大事になってしまっています。 本当の信仰があれば、私たちのお金の使い方、時間の使い方、人とのかかわり方、すべてが変わります。 すべてを神様の喜ぶように、使いたいと変わっていくはずです。 よろこんで神様と交わり、よろこんで人のために時間を使えるようになっていくはずです。 全額投げ入れるなんて、なんて無計画な!という考えが頭をよぎりますが、イエス様は、この女性のことを責めませんでした。かえって、彼女の信仰をほめています。 なぜなら、主は、私たちの必要を十分に満たすことができる方だからです。 どんなに目に見える者が大事に思えても、それはいつかは消え去ります。 ルカ21章の後半に出てくるのは、神殿、エルサレム、最後は天地が滅びる話です。 言わんとしていることは、目に見えるものにではなく、目に見えないものに望みを置いて、大胆に神様のために用いていって下さいということです。 今日もたくさんの目に見える必要に心を奪われるかもしれません。 でも、そのなかで、その必要を十分に満たしてくださる主に信頼して、恐れから解放されて、大胆に主に仕え、捧げ、人に仕えていきたいですね。

Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square

​​​​© 2020 Grace Harbor Church Tokyo

  • facebook-square