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CBR ヨナ2章、へブル1章
November 3, 2015
おはようございます。 今日も、とてもいい天気ですね。
昨日から、旧約はヨナ書です。 有名な話です。 ヨナは神様のもとから逃げました。 なぜなら、ニネベという邪悪な敵国に行って、そこで悔い改めを促すようにという命令が出たからです。 生粋のユダヤ人であっるヨナにとって、罪びとであるニネベなんかに時間を使いたくなかったのかもしれません。
➡ レッスン1)神様は、全ての人を救おうとされています。 私たちクリスチャンの役割は、神様のメッセージを人々に届けることです。 私たちは、いつの間にか自分の考えに凝り固まって、神様が周囲の人々の中で働いていることに気づかずにいるのではないでしょうか。 耳を閉ざしてはいませんか。
でも、ヨナはそれを拒否し、神の交わりからも、神様ご自身からも身を引こうとしました。 ヨナの細かい行動(立って、ヨッパに下って、船を見つけ、船賃を払い、船に乗り…)は、一つの決断ごとに神様から一歩ずつ離れていくヨナの様子がわかります。
➡ レッスン2)私たちは、神様の命令に耳をふさぎ、神様から距離を置こうとしていることはないですか。
でも、神様はそんなヨナをそんな遠くに行っても、追いかけてきました。(大風を吹き付けて、船長を用いてヨナを船倉から引きずり出し、くじをコントロールしてヨナに当たるようにした)
➡ レッスン3)神様は、私たちをあきらめて見逃す方ではありません。 私たちが離れようとするとき、神様はそれ以上の熱心さをもって追いかけてくる神様です。
なぜでしょうか。ヨナを懲らしめるためでしょうか。 いいえ。ヨナを回復させるためです。(ヨナは魚の腹の中で悔い改めることができました。) ヨナを、神から離れたままでは終わらせません。
➡ レッスン4) 神様は、あくまでも私たちを回復させようと願う方です。 私たちの心が神様から離れたとき、私たちが神様に心を向けて祈るときが来るまで、神様はその手をゆるめようとはしません。 私たちの心がほしいからです。 私たちの心はどうでしょうか。 もし神様から離れていたら、今日、神様の前に祈り始める日になるかもしれません。
新約聖書はへブル書が始まります。 これも、神様から、とくにイエスキリストから離れていきそうになっていたユダヤ人クリスチャンたちにあてて書かれた手紙だと言われています。 キリストの福音を聞いて多くのユダヤ人が信じましたが、年月が過ぎる中で迫害も多くなり、また、本当のイエスを信じていいのかという疑いが生まれてきていたのかもしれません。このへブル書の中で、作者(実は誰かはわかっていません)はイエスこそが旧約聖書に書かれているすべての存在、慣習よりも偉大な方であると、旧約聖書を用いて証明しようとしています。 1章-2章では、よくユダヤ人の話題に上っていた「御使い」達よりも、イエスは神の御子として偉大な方であるということから始めています。
➡ わたしたちにとって、心をキリストから話していってしまうものは何でしょうか。 自分の考えでしょうか。 人の意見でしょうか。 周りの習慣や慣習でしょうか。 会社の理論でしょうか。 イエスキリストは、それらすべてを超越している方です。 今日、もう一度、心の中でキリストを主としてあがめる日となりますように。



