CBR マタイ27章、オバデヤ1章

おはようございます。 今週はちょっと雨模様ですね。 足もとに気を付けてお過ごしください。

今日の新約聖書はマタイ27章。 イエスキリストが十字架にかかる日の初めから、終わりまでを逐一詳細に記述しています。 ピラトの前での裁判の様子、紫の衣を着せされたいきさつ、十字架を担いで丘を登っていく様子、そして、十字架の上での様子、そのうえで語った言葉、死んだ時の様子。 あまり、聖書でここまで一挙手一投足にわたって細かく記載することはありません。では、なぜ、ここではそうしたのでしょうか。

なぜなら、この日、「歴史が動いた」からです。

マタイ27:50-51 「 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。」

神殿の幕が二つに割けたのは、神と、罪を犯した人間の間の隔たりが、イエスキリストの贖いのゆえに取り払われたからです。 神様と私たちとの間の関係は、現実的に修復されました。 歴史は動き、動いた歴史は戻りません。

でも、わたしたちは、その歴史が動いたことをリアリティとして受け止めて、今日を生きているでしょうか。 僕の問題は、いつのまにか、キリストの十字架があってもなくても同じかのように生きてしまうということです。 今日の行動に、「イエスが十字架にかかった!」ということはあまり意味がない…かのように生きてしまっているということです。 今日の聖書の箇所を通して、マタイが伝えたかったのは、イエスの死によって神様との関係が永遠に修復されたという事実に基づいて、今日、その恵みに感動し、恵みによって変えられた生き方をするようにということではないでしょうか。

オバデヤ1:17 「しかし、シオンの山には、のがれた者がいるようになり、そこは聖地となる。」

今日を、主に救われた者、主の国に住み、主によって聖なる国民とされたものとして、キリストイエスによって動かされた後の歴史を生きる者として、変えられた生き方をすることができますように。

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