CBR 詩篇95

皆さん週末の土曜日、いかがお過ごしですか。 今日のCBRは詩篇95篇です。

 

詩篇95:7-9 「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。 あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、わたしを試み、わたしをためした。」

 

聖書の中の神様が何度となくイスラエルに対して語っている言葉に、「私はあなたがたと共にいる」という言葉があります。 何度も言っているのは、それが真実であり、それを信用してほしいからです。 そして、それを証明するために、イスラエル人をエジプトから連れ出すときには、海の水を二つに分けたり、ファラオに対して十の災いを下すことこで、イスラエル人にご自分の存在と力を示しました。 でも、イスラエルはその時は感動して信じても、あとで大きな困難があると、主の存在を何度となく疑い、反抗しました。 そんな出来事の一つが、メリバ/マサと呼ばれた場所での出来事です。(詳しくは出エジプト記17:1-7を見てください。) ここで彼らは「水がない」と言ってうろたえ、神は共にいないかもと疑い、モーセを石で撃ち殺そうとしました。 海を二つに分けたほどの神なのに、その神のことを信頼してゆだねることができなかったのです。 

 

わたしたちも、同じような罪を犯しているのではないでしょうか。 神様が聖書を通して語っている主の力と存在、私たちの人生の中で度々証明してくださった主の力の存在。それらに背を向け、今日の問題に圧倒され、神様の存在と力を疑っていってしまう。 この詩篇では、今日、この詩篇を読む瞬間にでも、そんな不信仰の罪を悔い改めて立ち返るようにと呼びかけています。 なぜなら、神様は、今日も私たちの羊飼いであり、共におられる神だからです。 神が沈黙しているように見えるとき、神は不在になっているわけではありません。 共におられる主に期待しながら、歩んでいきましょう。

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