CBR ヨハネ12章、エゼキエル20章

こんにちは!みなさんどのような一日をお過ごしですか?

これは最高に悪い癖なのですが、僕はちょっとやることが多くて聖書読んだりゆっくり祈ることを後回しにしたいという誘惑に駆られたりしていますので、祈っていただけたら嬉しいです〜。

過越の祭りの6日前、すなわち十字架にかかる6日前の出来事です。イエス様はこれからご自身が十字架にかかるが(32節)、それこそが自分の最大の目的であるということ、そして、「光」であるイエス様と「わたしを遣わした方」(44節)である父なる神を信じるように人々に伝えています。また、直前の11章では死んでいたラザロを生き返らせるという非常にインパクトのあるしるしを行われました。

しかし、それらの言葉を聞いたりイエス様の行ったしるしを見たにもかかわらず、人々はイエス様を信じたり正しく理解したりしようとしませんでした。パリサイ人や祭司長達は群衆の心をつかむイエス様をねたみ、殺そうと計画し続けます。ある人々は34「私たちは律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子が上げられなければならないと言われるのですか。その人の子とはだれですか。」と自分の知っている知識から離れることができず、イエス様の言葉をそのまま受け取ることができませんでした。また、指導者たちの中でイエス様を信じた人たちは、パリサイ人たちを恐れて信仰を告白しませんでした。43「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。」

もちろんイエス様は私たちの理解をはるかに超える存在ですので、その全てを私たちが完全に理解して信じるというのは非常に難しいと思います。

しかし、この箇所では、私たちの心の弱さや罪によってイエス様のことを信じようとしない、そのような傾向があることを示しているのではないでしょうか。

私たちもイエス様よりも自分が人気者になりたいと思う時があるかもしれません。自分の常識や知識がイエス様のことばを聴くことを妨げているかもしれません。

イエス様ではなく周りの人を気にすることがあるかもしれません。

しかし、イエス様はたとえ私たちが完全に従うことができなくても、「イエス様と一緒に歩みたい」と願う人たちを裁かずにいてくださいます。ですから、そのイエス様による救いに感謝し、もっと愛することができるように祈って行きたいと思います。

47「だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。」

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