CBR ヨハネ11章、エゼキエル19章

この箇所ではラザロという人が病気になります。その姉妹は使いを送り、来て癒してもらうように頼みました。

しかしイエス様は滞在していた場所にもう2日間とどまりました。4「この病気は死で終わるだけでのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためのものです。」という理由でした。

イエス様が到着したとき、すでにラザロは死んでから4日経っていましたが、彼をよみがえらせ、25節にあるようにご自身が死さえも打ち破る方であり、「よみがえり」、「いのち」であることを証明されました。

僕はこの過程で、イエス様が33「霊の憤り、心の動揺」、38「心のうちに憤り」を覚えられた部分について考えさせられました。マリヤやユダヤ人たちがラザロの死を悲しみ泣いていること、またある人たちが37「盲人の目を開けたのにこの人を死なせないことはできなかったのか」という発言を見聞きし、よみがえりであり命である、そしてすべてのことが可能であるご自身のことを信頼することができない人たちに対する反応ではないかと思います。

私たちも同じような状況になることがあるかもしれません。

死を打ち破って私たちに希望を与えてくださった神様のことを知っているにも関わらず、そこから目をそむけて現実に絶望したり、「神様は助けてくれない」「自分の力で何とかしなければならない」ということを考えることがないでしょうか。

しかし、40「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」とあるように、どのような絶望的な状況に思える中でも、神様を信じる私たちに栄光を見せると約束してくださった神様に信頼しましょう。

イエス様がユダヤに戻ると言ったときに、弟子たちはまたユダヤ人に石打ちにされてしまうのではと心配しましたが、イエス様は9「昼間歩けばつまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」と言いました。

今日も「この世の光」であるイエス様を見て、頼りにして生活することができますように。

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